こんにちは!
家住楽気(やすらぎ)の酒井です。
さて、今回は、当時の広島藩主、福島政則が植えたと伝えられる田蓑橋北詰の袂にある「蛸の松」のご紹介です!
蛸の松/田蓑橋北詰の袂にある「枝葉繁茂し四面に垂れ恰も蛸の如し」黒松
巨大なビル群を背に見事な枝ぶりでその存在感を放つ蛸の松。
で、そもそも蛸の松とは?
蛸の松(たこのまつ)とは、堂島川の右岸、田蓑橋北詰の袂に植わっている松の木の名称です。
名前からしてここまではご想像に難くないと思います。
ではなぜこのようなところに松が?
その理由は、大阪を代表する橋にその名をとどめる豪商「淀屋」の初代淀屋与三郎によって開発されたこの蛸の松がある中之島がそもそもの始まりです。
中之島は「天下の台所」と呼ぶにふさわしく、江戸時代には諸国物産取引の中心地として栄え、諸大名の蔵屋敷が多く建てられました。
そんな蔵屋敷前には、各藩自慢の松が植えられ、人々は屋敷の白壁と川面に映る松の景色を楽しむこととなったのです。
そんな松の中でも、当時の広島藩主、福島政則が植えたと伝えられる黒松の枝振りが蛸の泳ぐ姿に似ていることから「蛸の松」と名付けられ、名所の一つとして親しまれるようになった。これが蛸の松っていうことなんですね!
そんな蛸の松は、『大阪摂津名所図絵大成』にも「枝葉繁茂し四面に垂れ恰も蛸の如し、すこぶる大樹の名木なり、この辺河岸にして景色もっとも絶景なり」と紹介されるほど立派な枝ぶりの松だったそうですが、残念なことに明治44年(1911年)ついに枯れてしまいます。
現在の蛸の松は、平成16年6月、護岸の美化にあわせて、現在の大阪教育大学附属天王寺小学校が久留米藩蔵屋敷跡地に開校したというご縁によって、同窓会である雛松会が、かつての風趣を偲んで、「蛸の松」を再現しました。
最初の蛸の松は、堂島川の左岸、田蓑橋南詰のもう少し下流側で玉江橋との中間ぐらいの位置にあったそうです。
かつて「天下の台所」と呼ばれ栄華を誇った大阪の歴史がこんなところからも感じることができますね!
以上、枝葉繁茂し四面に垂れ恰も蛸の如しな蛸の松のご紹介でした!
◎名 称:蛸の松
◎住 所:大阪市福島区福島1丁目1−60
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◎URL:━
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